今頃、ビック電化の最年少店長になっていたはずのこの俺が、なんでこんな田舎のボロ寺の住職なんだ。
ここには、名誉もやりがいも未来もない。
いったい俺がどんな悪事を働いたっていうんだ。
もし仏様という奴が本当にいるのなら、今すぐ仏壇から引きずり出して、ぼこぼこに殴りつけてやる。
妻の陽子が娘を連れ実家に帰ってから、ちょうど二週間。
誰にも必要とされていない無価値観と、大切なものを失った虚無感が混じり合い、小五郎は生きる気力を失っていた。
この日も、幽霊のようにふらふらと本堂に向かい、いつもの檀家たちの説教をありがたく聞いているふりをした。
ほうほうと適当に相槌を打っていると、「しっかり聞かんか!」と吉井のじいさんに一喝された。
朝の説教が終わり、普段着に着替えた小五郎は居間にある漆塗りの大きなテーブルの前に正座した。
一杯の茶を飲み干し、ふうっと大きな溜息をつくと、墨を磨り、半紙に筆を走らせた。
“本日閉店”
本堂の雨戸をすべて閉め切ると、本日閉店と書かれた紙を扉に貼って、小五郎は町に出た。
町に出る目的は特になかった。
ただ、この寺にいるのが息ができない程苦しかったのである。
取りたてて面白くもない二本立ての映画を観終わると、近くの居酒屋に入った。
早く酔いたかった小五郎は、立て続けに、焼酎をロックで飲んだ。
しかしこの日は、五杯目のロックを飲み干しても、まったく酔わなかった。
何もかもうまくいかないな・・
そうつぶやくと、ぼろぼろと涙が溢れ出た。
親父、じいさん・・・ごめん。もう限界だ。
五代目住職である小五郎は、廃寺する覚悟を決めていた。
しばらく陽子の実家で厄介になり、落ち着いたら、母には東京に来てもらおう。
ふがいない自分に腹が立ったが、もうどうしようもないところまで追い詰められていた。
酔うことを諦め、居酒屋を出ると、店の前に黒猫が座っていた。
地面に腰を下ろし前足をピンと伸ばして、小五郎の顔をじっと見ている。
あっ、この間の猫だ。
次の瞬間、悦子の言葉がフラッシュバックした。
“もっと落ちる。かわいそうやけど”
あいつ。なぜあんなことを言ったんだろう・・・
確かにあれから俺の人生はますます悪くなっている。
再び地面を見下ろすと、猫はもうそこにはいなかった。
駅の方角を見ると、狭い路地に黒猫の尻尾が消えていくのが見えた。
バーDOGか・・・
あの女がいるかどうか確かめてみるか。
小五郎は、黒猫に誘われるように路地に入って行った。
バーの扉を開けると、アロハ男の甲高い声が聞こえた。
「まいどお〜!!」
カウンターの一番奥の席に悦子が座っていた。
この間と同じ黒いワンピースを着ている。
「この間はごちそうさま」
「・・・いや、こちらこそ」
「そろそろ来ることだって思って待ってたんやで」
「そっか。それは嬉しいね」
まだ何も注文していなかったが、おしぼりと瓶ビールが出てきた。
アブサンとやらは飲む気がしなかったので、文句はなかった。
「それでどうなったん?」
悦子が唐突に質問してきた。
「・・・どうって何が?」
「やっぱり落ちたやろ?」
「ああ、落ちた、落ちた!地獄の底まで落ちてったあ」
ひきつった笑みを浮かべながら、小五郎は無理やり陽気に答えた。
「そっか。それは良かったなあ」
ムッとした小五郎は、右手でカウンターをバン!と叩いた。
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