うっ・・・ここは、どこだ?
小五郎は、駅前にある公園のベンチで寝ていた。
昨夜は、バーでアブサンを立て続けに四杯飲んだが、その後の記憶がまったく思い出せなかった。
体を起こすと、早足で駅の構内に入っていくサラリーマンの姿が遠くに見えた。
公園のモニュメントの時計は、7時15分を差している。
小五郎はゆっくりと起き上がると、妙な感覚に気が付いた。
70度の酒をあれだけ飲んだのに、酔いがまったく残っていない。
いや。それだけではない。
“何か”がいつもと違うのだ。
かすかに揺れる樹木の葉。葉の間から洩れてくる朝陽の光。
餌を探し回る鳩たち。キンモクセイの香り。公園の石畳を踏んでいる感覚。
すべてが恐ろしいほどリアルだった。
とにかく臨場感が半端ないのである。
いままで生きていた世界が、まるで薄っぺらい紙芝居のように感じた。
おそるおそる公園を歩いてみた。
ベンチの前の噴水をぐるりと一周したところで、小五郎は愕然として立ち止まった。
自分が動いているのではなく、世界が自分の中で動いていたのである。
目線を下に向けると、自分の体は、世界の一部になっていた。
それは、まるで“顔出しパネル”から顔を出しているような感覚だった。
記念撮影用に観光地などに置いてある、あれである。
パネルの穴から“小五郎の意識”が世界を眺めていた。
自分は、まったく動いていない。
動いているのは、世界の方だったのである。
か、顔がない!!
“誰か”の叫び声がした。
首から上が消えている。
あのアブサンという酒のせいなのだろうか・・・
その誰かは、この摩訶不思議な状況をあれこれと考えだした。
意識は、話を静かに聞き、彼が連れてきた不安と恐れを感じていた。
話が終わると、世界は静寂と平安に包まれた。
考える誰かがいない時、世界は誰のものでもなかった。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、考える誰かはあることに気づいた。
もしかして、俺は“思考”なのか?
俺が考えている時だけ、俺は存在しているような気がするが・・・
考える誰かは、益々混乱した。
なんてこった。
これがアロハ男が言った「存在していない」ということなのか。
うん?じゃあこの体を動かしているのは、いったい誰なんだ?
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