小五郎の心は、一点の曇りなく澄み切っていた。
晴れ上がった空に、どこからともなく雲が流れてくるように、言葉が浮かんできた。
その言葉は、思考の検閲を受けず、そのまま口から出ていった。
“カリスマ営業マン”として東京で働いていたこと
父史郎の死を未だに受け入れられないこと
慣れない仕事でストレスが蓄積し、鬱になったこと
妻が子どもを連れて、実家に帰ってしまったこと
自分は“仏の道”を教えるような人格ではないこと
近い将来、廃寺の手続きをしようと考えていること
時より法衣の袖で目頭を押さえながら話す小五郎の姿を、檀家たちは静かに見守っていた。
「以上です。ご静聴ありがとうございました」
檀家たちは、小五郎に向かって、合掌した。
「いや素晴らしい説法じゃった。ありがとう」
吉井のじいさんが深々と頭を下げた。
「いいえ。これは説法ではありません。
これまで隠してきたことをお話して、みなさまにご判断いただきたいと思っただけです」
「判断ならもうついておる。おまえさんの中に仏さんを見たんじゃよ。だからみんな合掌したんじゃ」
「・・・仏様ですか」
「おまえさんは、ずっと自分の力で、この寺をなんとかしようとしてきたはずじゃ。しかし、今のおまえさんは一切の自力を捨て、仏さんにすべてを委ねておるじゃないか」
「はい。自分でも不思議なのですが、立派な人間になろうとするエゴが消えてしまいました。未熟ですが、どうしようもない自分のまま生きていくしかありません。そう思ったら、みなさんに包み隠さずお話したくなりました」
「あるがままに生きる。これぞ仏道なのじゃ。それでいいんじゃよ」
「えっ、このままでいいんですか?修行し、悟りを開いて、仏様になるのだと思ってましたが」
「そうではない。瓦をどれだけ磨いても、鏡にはならぬものじゃ。瓦を否定し、鏡になろうとする心、それが邪魔なんじゃよ。修行とは、その分別心を落とすことにある。おまえさんに何があったのか知らぬが、その邪魔ものが見事に脱落しておる」
「何者かになる必要はなかった?」
「そういうことじゃ。
このままでは駄目だ。何とかしなければならぬ。
その分別心が、そもそも“迷い”の原因じゃ。
そして、その迷いが“悟り”という幻想を創ったというわけじゃな」
「悟りは、幻想なのですか?」
「悟りというものを欲しがっているようでは、まだ迷いの中にいるということじゃ。
そこの池に、蓮の花が見事に咲いておるじゃろ。
仏さんは、水面の綺麗な花か?それとも泥の中の根っこか?」
「どちらもです」
「その通りじゃ。分別心が落ちれば、花も根もなく、あるがままの姿が見えるものじゃ」
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